トゥバ共和国とホーメイ

(1)トゥバ共和国
ロシア連邦の自治共和国。ロシアには州が46、地方が9、市が2つあり21の共和国があるが、トゥバ共和国はその一つであり、ロシア連邦の中でも最古の共和国である。
南シベリア地区に区分される。首都はクズル。
人口は約30万人強。国土は日本の半分弱の面積。地域で見ると、東北部はシベリア特有の衣食でトナカイ遊牧民、南はモンゴルと同様、ステップ遊牧民が今でもたくさんいる。各地に原生林のタイガが広がり自然が豊である。気候は大陸性気候でとても厳しく真冬はマイナス50度から夏はプラス50度まで。湿度が全くないので非常に過ごしやすい。

・モンゴルとの相違
モンゴル人の多数はハルハと呼ばれる民族が中心で、モンゴルの北方、つまりエニセイ川源流域に移住する人の事をトゥバ人と呼んでいた。つまり決定的に種族が違うのである。古くは、随書・新唐書などに見られる都播、都波がトゥバ人であったとされる。また清時代のタンヌ・オリヤンハイと重なる部分がおおく見られる。また、トゥバの北方にあるサヤン山脈から南にかけては7世紀くらいから独自の文化があり、10世紀にはロシア語で、ソヨン人と呼ばれる種族が住でいた。これがトゥバ人であったと云われている。また固有の言語、文化形態を持っていた事からも、モンゴルとは別の国、別の人種であると断定出来る。
尚、サヤン山脈の東に居たトゥバ人たちは今でもトナカイ遊牧民をしながら生存している。1930年代にソ連とモンゴル両国が引いた国境線によってここに、トゥバ人たちが完全に2つに断絶してしまった。結果現在のトゥバ共和国に住むトゥバ人たちは固有の文化を保持し、トゥバ語という言語をしゃべるが、モンゴル国境内になってしまった旧トゥバ領域の遊牧民たちからはトゥバ語が失われつつあり、現在ではほとんどの人々がモンゴル語をしゃべる。
・モンゴルにはブフと呼ばれる相撲がある事は日本人には周知の事実だが、トゥバにもおなじような相撲が存在し、モンゴル、日本と同じように国技的な扱いを受けている。因にトゥバではフレッシュと呼ぶ。

(2)歴史的背景
シベリアに初めて人類が進出したのが今から三万年ほど前のヴェルム氷期、つまり旧石器時代である。この時期と同時代にトゥバに人類がいたのではと推測されている。またトゥバでは紀元前四千年ぐらいから始まる新石器時代の青銅器や遺跡が発掘されている。しかしながら元々文字を持たない遊牧民、騎馬の種族で、定住と云う概念に乏しくまた広大なユーラシア大陸は長らく共産主義政権下におかれていたため、考古学的にも未だ未開の地であり、不明な点が多い。トゥバの記録は6世紀〜10世紀にもたくさん残っている。13世紀になるとチンギス・ハーンによるモンゴル帝国の支配下におかれる。この時期に言語以外の固有の文化がたくさん失われたと見られる。
以後トゥバは周辺諸国の勢力に翻弄された非常に複雑な歴史を歩む。18世紀になると清国など中国による支配下におかれ、1839年まで清朝に属する。1839年以降、ロシアの進出に伴い、1914年から1920年までロシア帝国の保護地となる。1917年のロシア革命後にボリュシェヴィキが進出、ソ連モンゴルの承認により1921年タンヌ・トゥバとして独立。この独立国は1926年まで続き、その後はソビエト連邦の自治区となりソビエト連邦解体後、ロシア連邦諸国の一部となり、現在に至る。
言語は主にトゥバ語を使用。公用語はロシア語。トゥバ語には元々文字がなかった。ロシア統治以前は隣国のモンゴル文字をトゥバ語に置き換えて使用していたが、これは一部の知識層のみであった。現在トゥバ語はキリル文字+四字にて表現している(*この四字に関しては中央アジアのキルギス、カザフスタンなどで使用される文字に近似)。トゥバにおける文字の所有はシベリア諸国のチュルク語系(トルコ系)の民族つまり、アルタイ山脈の諸国、ハカス共和国、ヤクートなどと同じように非常に遅かった。それはアゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベク、タタール共和国のようにイスラム教の支配下りアラビア語を導入した地中海付近の諸国と違い、土着の宗教を守っていた為だ。トゥバの文字が誕生したのは1930代の事である。
宗教は元々土着のシャーマニズムが信仰されていたが、17世紀にはチベットから仏教が入り定着する。1920年頃に観察した研究家によるとトゥバにはラマ教の寺院が4千見られたという。その後ソ連の統治時代に仏教とともにラマ教の排除が起こり各地域にて宗教的弾圧が起こった。トゥバでもロシア正教が入ってくる。現在でもトゥバ共和国のエルジン地方にはロシア人宣教師たちが作った、聖地がある。ソ連邦解体と共に元にあった信仰が復活する。2013年トゥバ郊外に訪れた際に見られた状態としては、ロシア正教の寺院の中にラマ教の教壇が飾られていた寺院を多く見た。

またホーメイジ(ホーメイを演奏する人たち)やその家族と接する機会が多くあったが、その印象としては土着のシャーマニズムとチベット仏教の混合された信仰が色濃く感じられた。
またトゥバに行くと象徴的な風景としてオボー(峠や、聖地にある木々に布を巻き付けて土着の神を祭る信仰)が良く見られる。

(3)ホーメイ、伝統的な楽器について
■ホーメイ
ホーメイはただしくは“フーメイ”。
喉をつめて発声する歌い方の総称。
日本で良く知られている、ホーミーとは全く異なるとはっきり明記しておこう。
この喉をつめて浪曲節のように歌う方法は、アルタイ山脈付近、地域的には現モンゴル国の最西部付近が発祥の可能性が高い。そしてそれぞれの地域で様々なスタイルが生まれた。トゥバではホーメイ(フーメイ)と呼ばれる。近国のハカス共和国ではハイ、アルタイ共和国ではカイと呼ばれる。モンゴルではホーミー。ハイやカイ、モンゴルでは英雄叙事詩と共に喉をつめた方法で歌がわれるが、トゥバでは英雄叙事詩とともに歌うよりも広大な自然、馬、恋人を歌ったものが多い。また、諸国では喉をつめて歌う総称しか持たないが、トゥバにおける喉唄は明確に三種類に分かれる。
世界的に非常に有名な喉歌の総称ホーミーは現モンゴル国つまり外モンゴル地域、そして中華民国の内モンゴル地域で行われている方法を指す。トゥバにおけるホーメイとモンゴルなどにおけるホーミーは相互に影響しつつあり、本当に近年のホーミーのスタイルはトゥバのホーメイの影響が非常に強くなってきている。

トゥバの場合唄と唄の間、つまり間奏部分に様々なホーメイのテクニックを挿入する。
*トゥバのホーメイの種類について
トゥバではホーメイの種類がたくさんある。代表的な奏法の一部を文字で書き記すのは非常に厄介だが、簡単に記そう。
ホーメイ(フーメイ)
喉をつめて歌う奏法の総称。
スグット
ホーメイの状態から、口蓋に舌を付け高音を強調させる奏法。口笛のような高い音が象徴的。
カルグラ
ホーメイの状態または、喉を解放した発声から仮声帯のヒダを訓練によってふるわせる方法。基音の一オクターブ下の音が出る。
アルタイ、ハカスの英雄叙事詩はこのカルグラに近い形で歌われる。
モンゴルではハルヒラと呼ばれる。

ボルバンナドゥル(ボルラン)
川のせせらぎなど水のイメージ。ホーメイの奏法から舌を小刻みに動かして振動を与える。
または唇を小刻みに動かすボルランという方法もある。

エゼンギレル
馬のギャロップのような音を作る。ホーメイやスグットの状態から鼻と口を弁のように入れ替えて鳴らす方法。

ガンズップ(チュランドゥック)
カルグラの状態からスグットをする。

■楽器の説明
トゥバではイギル、ドシプルール、ブザーンチゥと云った弦楽器をホーメイの伴奏として使用する場合が多い。打楽器は鈴や太鼓などが使われる。しかしこれは固有のものと云うより、チベット仏教具を代用したものにすぎない。トゥバ固有の打楽器としては死んだ馬のひずめを煮詰めて作られたドゥユグ、雄牛の陰嚢の中に羊の距骨を入れて音を出すハップチュックがある。ドュユグはプリミティブな楽器であり、その歴史は古いと言われているが、トゥバの世界的なグループ、フンフルトウのパーカッショニスト、アレクセイ・サルグラルがそれらを再加工した楽器として使用するにあたり定着した。

口琴もシベリア、中央アジア諸国と同じように存在する。鉄製の口琴の事をデミル・ホムスと呼ぶ。トゥバの口琴はサハ共和国やキルギス、インド口琴とは違いかなり繊細に作られている。また、デミル・ホムスの他にも木や枝、弓などで作られた口琴、ウヤシ・ホムス、チャルトウ・ホムスなどがある。

イギル
トゥバの伝統的な察弦楽器。
現代のモンゴルの馬頭琴は1900年代に入ってから誕生した。しかしこれは
全体が木製で、トゥバのイギルのように表面に皮が貼られた馬頭琴はモンゴルでも存在するが奏者が圧倒的に少ない。これらはイケル、イルケルとよばれていた。
トゥバのイギルはこの馬頭琴の原型のひとつと云われている。イギルは現在でもトゥバ国内ではとても人気のある楽器で、町のモニュメントに使われてたり、トゥバの首都クズルの中心地には“ホーメイセンター”という政府の建物と横に、イギル・ドシュプルールを製作する楽器工房があり、平日はたくさんの若い職人たちが楽器製作に励んでいる。
イギルは遊牧民がミルクを掬う木のスプーンに皮を張り音を出したのが始まりとも云われているが、ホーメイの奏法の起源と同じように、楽器の正しい起源は分かっていない。イギルの構造は現在もプリミティブである。ヘッドから皮の張った部分まで一本の木(松がなど)で作られている。皮は2、3歳くらいまでの子羊の毛皮、または子牛の毛皮を使う(非常に薄い皮である)。したがって音色が非常に押さえられている。弦に指を軽くあて弓を薄くこするとまるで風のようなハーモニクス音がするこの弾き方はトゥバ人たちが好む奏法の一つである。一方馬頭琴はチェロやバイオリンのように木々を組み合わせて作られている。現在イギルは内弦、外弦が正五度であわせられているが、過去には四度であわせられていたらしい。内弦が低い音、外弦が高い音となる。馬頭琴は内が高く、外が低い。また弦とネックが非常に高い。

イギルや、ドシプルールのヘッドには馬を彫刻する習慣があるが、これはトゥバの伝統にはなくモンゴルの影響が非常に強い。またモンゴルも近年取り入れた装飾で、古来のものではないと云われている。
近年トゥバでは馬の変わりに龍をつけるなど、モンゴル、中国の影響が非常に大きい。喉歌の起源が自国であるとユネスコに世界遺産登録を申請した中国(内モンゴル系の人種)のホーミー奏者たちの演奏を聴く機会があったが、いずれもトゥバのホーメイそのままであり、彼らは中国の国家認定の演奏家でありながら、トゥバに毎年かよってホーメイのレッスンを受けているという現状が分かって驚いた。

 

ブザーンチゥ
トゥバ人によると“二胡”の原型だとされるが怪しい。モンゴルのホーチル(四弦楽器)と同類。二胡の様に弦と弓がスパイラルにホールドされている。特筆すべきは二胡やホーチル、バイオリンなど西洋の弦楽器のように弦を上から押さえる奏法ではなく、指先の上、つまり爪側を下から上に向かって押さえる奏法をとっている点である。この方法に近い奏法がフィンラドのヨウヒッコがある。

ドシプルール
三弦の発弦楽器。
トゥバではイギルと同じくらい人気がある楽器である。親指と人差し指を上下から交互にかき鳴らし、まるで馬が走っているように奏でるのがトゥバ独特の特徴。近年はピックを使って演奏するものを増えて来ている。元々はイギルと同じように2弦であった。

(4)補足、トゥバについて

トゥバの夏の昼は長く、22時まで明るい。時差は日本からマイナス1時間。日本から旅するには
成田→(約4時間)ハバロフスク→(約三時間)クラスノヤルスク→(約6時間)陸路ハカス→(約6、7時間)陸路トゥバのパターン、または成田→(約二時間半)北京→クラスノヤルスク(約三時間半)→陸路にてハカス→トゥバ。
以前は新潟からウラジオストック経由のパターンがあるが北京経由は飛行機の移動時間は短いが北京空港でのトランジットにかなりの時間を費やす。
ハカスからはセスナ機のチャーターが出来るが、割高なので、一般市民には向かない。
クラスノヤルスクからの陸路は約13時間。
鉄道はないが、近年日本の企業がシベリア鉄道建設の為の視察に入った。もしかするとこれから10年くらいのうちに鉄道建設が始まるかもしれないが、便利になる反面、固有の文化の消失などが危惧され非常に複雑な思いが募る。

文:鎌田 英嗣(かまだえいじ)

参考資料:等々力政彦「シベリアをわたる風」「トゥバ音楽小辞典」他